Y氏~追想の刻

追想の刻~パチンコ屋店員物語~episode1

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店員さん
ねぇ、Y氏さんは何でパチンコ屋に入ったの?

 

スタッフの休憩室に修正テープをパクリに来た私に、フランクな19歳のマリンちゃんは問いかけてきました。

 

丁度マリンちゃんと同じ位の歳でこの業界に足を踏み入れ、クソみたいな業界に挑み、痛みを味わって来ました。

 

「なんだと・・・もう一回言ってみろゴラァ!!!

 

虫の居所が悪かった営業本部長に食ってかかり、ガラスの灰皿が飛んできて額を割ったこともありました。

 

クソ野郎が・・・!こんな奴らの下でいつまでも働けるか!絶対こいつらより上にのし上がってやる・・・!
Y氏

 

昔は昔、今は今。

共に良い所も悪い所もあります。

 

これは1990年代のパチンコ屋さんでのストーリー

 

1990年代後半

私がアルバイトとして業界に足を踏み入れた当時のお話。

都内の繁華街。某駅前のパチンコ屋の前を通ると、自動ドアが開く度に騒がしい音楽と店員のマイクが響いていました。

 

今から18年くらい前でしょうか。

クランキーコンドル、CRバトルヒーローなどの時代と言えば、当時を知ってる方ならお分かり頂けるかと思います。

もう正確な年は忘れてしまいましたが、最初にアルバイトで入ったのは某駅前の併設店さんでした。

 

法人名は控えますが、何回か記事でも触れているかもしれません。

緩かった入店規則

当時は高校に入ったくらいの年齢になると、悪そうな先輩から「パチンコ屋に行くぞ!」とお誘いが来る時代でした。

学校の帰り、または学校に行かずに学ランのズボンに5,000円を入れて、Tシャツを着てホールに小遣い稼ぎの為に打ちに行くのです。

 

私は当時のアルゼさん(現ユニバーサルエンターテインメント)から出ていたクランキーコンドルにどっぷりとのめり込んでいました。

目押しには自信があった当時、技術介入要素の強かったクランキーは自分の腕を見せつける良い機械でした。

 

また2確のリーチ目である青テンの美しさを見るためでもありました。

 

青テン参考資料

 

私が度々ユニバさんの話題を出しているのは、Y氏が個人的に機械が好きだからです。

実は履歴書を送って面接を申し込んだ事もありますが結局面接は受けませんでした。

良かったのか悪かったのかは解りません。

アルバイト時代のY氏

当時から勢いだけ、生きる勢いだけはありました。

生意気だったけど何故か先輩や店長には随分可愛がって貰えてたなと今になって思います。

 

バイトを探す時には、とにかく時給が高くて自分が興味ある事、選択枝はパチンコ屋になってきます。

そうなると駅前のいつものパチンコ屋が浮かびます。

ちょっと面接でもしてもらうか。

そんな軽い気持ちで業界の扉をドンドンと叩きました。

 

ここからが地獄の始まりです。

 

この業界の上の人は絶対ヤバい組織と繋がってるんやろなぁ。
Y氏

 

面接の日

 

店長
明日から頼むわ。

 

とアイロンパーマの店長の面接を終えて一緒に店を出ると、店先の道路には黒のベンツ560SELが止まってました。

560SEL参考資料

社長です。

たまに店先に現れるんですが、黒地に白いストライプ柄のダブルのスーツを纏った社長がベンツから降りてくる姿は、あっちの人そのものでした。

なぜ夜もグラサンなのか・・・

教育係のX先輩とアイパー店長

人手が足りない事もあり、翌日から働き始めるY氏。

アルバイト初日に教育係である2つ上の先輩にホール巡回のイロハを教わります。

 

この先輩がたまに出てくる「X氏」なんですね。

 

先輩は茶髪のロン毛で日サロ系、ギャル男ってやつです。

いざ巡回を始めると右も左も分からないホール、更にはお客様として打ちに行くのとは全く違う視点でホールを回る事に戸惑いながらも何とかX氏先輩に付いていきます。

 

店長
おい、ホールで鍵をチャラチャラするんじゃない。お客様に当たったらどうすんだ。

 

アイロンパーマの店長がインカムを入れてきます。

水色の半袖Yシャツと黒スラックス、私の真新しい制服にはビロビロに伸びた長いホルダーにオンボロの鍵が2個。

一つは台鍵、もう一つはサンドKey。

 

先輩の後ろに付いて巡回する私は暇になると、この鍵をホルダーごと振り回しては店長からインカムで怒られていました。

初日から覚える事は沢山ありました。

 

X氏先輩が教えてくれたイロハ。

 

X氏
巡回中の基本は島を歩きながら、上から下に台上、データ、盤面、台間、お客様の手元、足元と視線を送りゴミや不審点がないか見ること。

 

X氏
出てる台がいっぱいある様に見えるけど、負けてるお客様の方が圧倒的に多いから気を付けろ。

 

プラスして教わる作業はスロットのメダル補給と、パチンコの玉詰まり対処でした。

当時はポリで玉を洗うホールさんが多く、これが玉と一緒に循環して島上から蛇腹を通り、台へ供給されるんですが良く詰まるんです。

ポリ参考資料

こういうやつですね。

 

X氏
詰まって玉が出ない、そういう時は叩けば直るから優しく壊さない程度にバンバン叩け

 

X氏先輩からはこんな感じのとても的確な指示が飛んで来るんですが、詰まってるポリを取れば直るだけなんです。

マイクの掛け合いがしたい

数日もすると、何となくホール巡回にも慣れてきます。

 

早くマイクやりたいなー。いつやらしてくれるのかなー。
Y氏

 

とか思いながら、アイパーをキメてマイク入れる店長の姿を眺めていました。

 

店長
お前がマイクなんざ100年早いわ。見落としが無くなるまで巡回してろ。

 

店長にそう言われると、いつしかマイクをやる事が目標になってしまい休憩室でもマイクの練習を始める始末。

 

今思うと店長に対しての憧れと、対抗心が少なからずあったようです。

 

先輩と店長はハンドマイクを持ち、交互にマイク(CR〇〇、〇〇番台、フィーバースタート!)を入れて行きます。

その光景が羨ましくもありました。

遂に訪れたchance

ホールの巡回を始めて3週間目くらいでしょうか。

もうほとんど問題無くホール巡回が出来るようになった頃です。

 

店長
おい、マイク入れてみろ。

ただし、下手くそだったら取り上げる。

 

X氏先輩から店長に話をしてくれていたようです。

良い先輩と、良い上司を持つと幸せです。

 

店長から黒いハンドマイクを渡された私は、当たった台の後ろで練習していたフィーバーマイクを入れるも声が通らずあまり聞こえない。

そんなマイクの後にX氏先輩が掛け合いを続けてきます。

黒子の様な存在

やっとマイクを掴めたY氏はテンアゲ状態。

当たっているお客様は悪い気はしていない、そのお客様の気分を自分のマイクで盛り上げる。

と言うのはスタッフだけで、うるさくて嫌がるお客様も多かったですね。

 

満タンになった玉箱を下ろして空のドル箱をお渡しし、無くなったメダルを補給しにいく。

主役はお客様、我々は黒子のような存在。

 

そんな黒子が満タンのドル箱を床に下ろすと「ありがとう」と、自分の親父お袋と同年代くらいの常連様は優しく話し掛けてくれました。

バランスが良かった時代

ギラギラした時代でありながらも、今よりも遊びに近い感覚は強かったです。

当時のレートは4円パチンコ、換金率は2.5円、スペックは権利物が多く遊びにも勝負にもなる、絶妙なバランスが取れてました。

 

新台が出るのも月に1回とかのペース、今の様に何機種も何機種も販売される事がなくその分ホールは出玉に還元できた事もあり、一機種の寿命は長かったですからね。

 

新装開店=熱いイベント

この構図でした。この頃に戻すしか今は道がありません。

 

かくしてマイクスキルを手に入れた私は、遊技業界の親善大使へなるべく修羅の地獄を進んで行くのであった。

To Be Continued>>>

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